島四国遠足
2025年4月21日 14時03分[大島准四国霊場の由来]
大島准四国霊場は、約200年前に島民である医師 毛利玄得、修験者 金剛員玄空、庄屋 池田重太の三人の努力により開創されました。玄得は幼少の頃、出家し仏門に入りましたが、成人の後、医業を継ぐことになり還俗しました。その後、その志を断念したことを悔いて、本四国霊場を数度巡拝し、その地理地形に合わせて、大島に島四国霊場を開創しました。
開創と共に本四国に比べ手軽に巡拝できることから、多くの巡拝者を迎えるようになりましたが、当地の領主今治藩は、多くの民衆が集まることに危惧を感じ、霊場巡拝を禁止し、主犯格の三人を流罪の刑に処しました。
しかし、巡拝者は絶えることがなく、1810年4月3日、総本山仁和寺から「准四国八十八ヶ所霊場」の称号と仁和寺の紋章の使用許可が与えられ、初めて自由に巡拝できるようになりました。
毎年、遍路市の縁日には、近隣はもとより遠方から巡拝者で賑わい、現在に至っています。
遍路市の縁日は、4月の第3土曜日を初日とする3日間となっています。
また、最終日の月曜日には、大島中学校、宮窪小学校、吉海小学校の3校が発達段階に応じた巡拝距離を定めて島四国遠足実施し、地域の文化を絶やさぬようにしています。
《引用:しまなみ海道 えひめ大島 島四国 令和元年版》
※伊予大島准四国霊場会事務局様より、引用の許可をいただいております。